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読書に、音楽に、ひと皿に。KOBOKUがそっと寄り添う静謐なひととき。
日本古来の香木を嗜む和香木研究所《KOBOKU》は、食とともに、本とともに、音楽とともに、その世界を深めてくれる。
このコラムでは、静かな時間のなかで香味と感性が重なり合うペアリングを紹介していく。
蛍光灯の白光、スマートフォンの青い輝き、褐色な言葉の渦。現代は何もかもが過剰に露わになる時代なのかもしれない。そんな明るさに疲れを感じるとき、谷崎潤一郎の書『陰翳礼讃』がふと浮かぶ。
谷崎は暗がりの中にこそ美を見出した。日本の家屋、漆器、障子、和紙——すべてが陰翳のなかで息づく繊細な美しさを語っている。「我々の先祖は、あの暗い闇のなかで、物の色、形、音、味を感じ取ることに、どれほどの繊細な想像力を働かせてきたか」。この言葉は、光だけが美をつくるのではないという、静かな真実を告げている。


ノンアルコールスパークリング《杉翳》を手にするとき、その名に刻まれた「翳」という文字が、まるで谷崎の美学を体現しているように感じられる。
杉と黒文字の二つの香木が織りなす、森の記憶。杉の青葉がもたらす清涼感、湿った樹皮の温もり、黒文字の仄かな甘みと柑橘のような艶やかさ。それは派手に香り立つことなく、グラスの中で静かに佇んでいる。
ひと口含めば、口中にふわりとした余白が生まれる。杉林の木陰で深呼吸をするような静けさが、身体の奥深くまで沁み渡っていく。

夜、部屋の照明を落とし、和紙のような灯りのもとで本を開く。ページをめくる音だけが静かに響き、遠くで風が草木を揺らす気配がする。グラスに注がれた《杉翳》からは、かすかな香りが立ち上がり、五感がひとつずつ目を覚ましていく。
それは単なる飲みものではない。空間と調和し、感覚の深部を解きほぐす、静寂のためのひと雫。谷崎が語った「美というものは、物そのものにあるのではなく、それを包む空気、翳にある」という言葉が、ここに重なる。

私たちはいつしか「翳」を避けるようになった。陰を持たない部屋、曖昧さを許さない言葉、即座に評価される世界。けれど、人生の豊かさは、きっと明快さの外側にある。
《杉翳》を味わうということは、その翳のなかに身を置くこと。すぐに理解できる味でもなければ、強烈なインパクトがある香りでもない。けれども、ゆっくりと心が沈静し、自分の輪郭がほどけていくような感覚が、そこにはある。
谷崎が『陰翳礼讃』で描いた、静謐の美、翳の気配。《杉翳》は、そんな世界に寄り添う飲み物である。あわただしい日々のなかで、自分を取り戻す静かな儀式として。
香りを聞き、味わいに耳を澄ます——そんな「陰翳の余白」を、ぜひ手に取ってみてほしい。
